赤切符の反則金を支払わずに済ませた話
お疲れ様です。赤座あかりです。
今回は私が大学2年生だった2017年、34km/hの速度超過で赤切符(正式には「告知票・免許証保管証」というらしい)を切られた後、罰金を支払わずに済ませた体験を書きます。
この方法で支払わずに済ませられる可能性は100%ではないですが、罰金・前科を回避できる可能性があるため、試してみる手はあると思います。
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そもそも交通違反への処分とは
本題に入るためにまず、交通違反に関する処分に関して書きます。
既に知っているよという方は飛ばしてください。
交通違反に対する処分は、その違反の重大さにより大きく2つに分けられます。
まず、俗に言う「青切符」を切られるような軽微な交通違反に対してですが、
こちらは「反則金制度」により処分内容が決められています。
反則金を納付することで刑事事件となることを免れることができ、裁判は行われず前科がつくこともありません。
(反則金を支払わず、検挙内容を否認し、正式な裁判を要求することも可能です。)
次に、「赤切符」を切られるような重大な交通違反に対してですが、
こちらは「反則金制度」の対象とはならず、処分内容は一般に略式裁判という簡易的なで決定されます。
またそれにより罰金刑が確定すれば前科がつきます。
今回私が書くのは、こちらの「赤切符」を切られた際の出来事です。
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取り締まられるに至った経緯
大学3年生になる直前の春休み、私は電車賃を浮かせるため、都内から大学のある多摩地域までバイクで向かっていました。
甲州街道の流れの悪さにフラストレーションを感じていた私は、交通量の減った地域に出たことでいつも以上にスピードを出していました。
その結果、制限速度50km/hの橋の上でねずみ取りによる取締りを受け、34km/hの速度超過として検挙されました。
赤切符が切られ刑事事件の被疑者となった私は、指定日に立川にある裁判所に出頭するよう命じられました。
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出頭前にしたこと
速度違反の5万円以上10万円以下という罰金は大学生の私にはあまりにも大きかったため、まず私は必死で情報収集を始めました。
情報収集の結果知り得た情報は3つ
・一般に略式裁判で処分が決まるが、それを拒否し正式な裁判を求められること
・正式な裁判を求めた場合、普通の刑事事件同様検察が起訴するかしないか判断すること
・東京都では裁判所のキャパシティから交通違反に関する事件で不起訴になる確率が高いこと
結果、私は正式な裁判を要求し不起訴になることを目指すことにしました。
また、取り調べに備え上申書を作成しておくことが有効だと知り、作成をしておきました。
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出頭時のこと
指定日になり、立川にある裁判所へ行きました。
建物内に交通切符受付という交通違反を専門に扱う場所があり、そちらに申し出た後、警察官からの取り調べを受けました。
取調べは用意していたボイスレコーダーが不要と感じるくらいの穏やかな雰囲気であり、上申書を渡していたためかスムーズに進みました。
一通り取調べが終わったのち、またこの件に関して電話があるかもしれないことと、事件に関する取扱い番号を伝えられました。
事前の情報で検察官からの取り調べも行われるものだと思っていた私は拍子抜けした気持ちで帰路につきました。
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結果
その後、その件に関して特に音沙汰がなかったため、おそらく不起訴になったのだと思います。
しかしながら、その後も連絡が来たらどうしようと不安な時間を過ごしていたので
気持ちよく過ごしたい人はとっとと罰金を払って済ませるのも手なのかなと思います。
おまけ
作成した上申書を個人情報を隠した形で貼っておきます。
上申書
立川区検察庁 担当検察官殿
事件の概要
平成29年〇月○○日における速度違反事件の検挙について、当日私は在学中の○○大学へ向かうため東京都○○区の自宅を12時45分頃出発しました。14時48分に○○橋の第二走行帯を走行中速度測定装置による取り締まりを受け、50km/hの速度制限の道路を84km/hで走行、34km/hの速度超過として検挙されました。私は測定の結果について納得がいかなかったものの、担当していた警察官の発言から告知票と速度記録紙に署名・捺印をしなければその場から解放してもらえないと感じたこと、また大学に到着しなければならない時刻が徐々に迫っていたことから、やむなく署名と捺印をしました。
否認理由
今回の速度違反を否認する3つの理由があります。第一の理由は、私は取り締まりを受けた○○橋を速度の確認しつつ走行しており、その速度計が速くても70km/hに達してはいなかったことです。私は常日ごろから安全運転を心かけており、進路変更時の安全確認や一時停止における二段階の安全確認などを欠かしたことはありませんし、周囲の車の流れなどの影響からつい制限速度を超える速度を出してしまっても速度計で把握し次第後続車の動きを確認しつつ制限速度まで落とすようにしています。また以前から大学の友人や先輩から○○橋において速度違反の取り締まりが行われていることを耳にしていたこと、さらにバイクという乗り物は気を付けていてもつい速度を出しすぎてしまう乗り物であるということから特に気を付けて運転していました。
第二の理由は、私には取り締まりを受けた際時間に余裕があり、急いで速度を出す必要がなかったことです。取り締まりを受けた時、私は履修登録をするため在学している○○大学に向かっていましたが、その履修登録の受付の終了時間は16時であり、○○橋からの○○大学への一般的な所要時間が15分であること(Y!カーナビ、googleマップ調べ)を考えれば十分に間に合う時間でした。
第3の理由は、私が○○橋を走行していた際、周囲を他の車両が走行しており。車両の間違えや誤測定の可能性があることです。私が○○橋を走行していた時、車種までは思い出せませんが前方を黒色のミニバン、左斜め前方を銀色のセダンが走行していたと記憶しています。橋を渡り切った先の信号が黄色になったため私が減速した際警察官の制止を受け、前を走行していた2台の車両はそのまま走り去っていきました。
私は、速度を確認しつつ走行し、測定結果の示すような速度で走行していたという事実がなかったこと、測定結果のような異常な速度を出す必要がなかったこと、そして自分の周囲を他の車両が走っており誤測定の可能性があったという上記の3点の理由から今回84km/hで走行していたという事実を否認いたします。
赤座あかり最後のなちゅやちゅみ!(2019年2月〜3月旅行記)②出発からロサンゼルス到着まで
お疲れ様です。赤座あかりです。
こちらの記事は前回の続きです。まだ読んでいない方は是非前回の記事から読んでもらえればと思います。
移動にこんなに文量を割いてしまって申し訳ないです。
また、書いてる途中で文章の密度がだいぶ変わってますが、記憶だよりなので許してにゃん…。
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準備に奔走する中で忘れていた計画の無謀さからくる恐怖が、いざ出発するという現実から急に襲い掛かってきていた。
出発するはずの時刻を過ぎているのに、私はまだベッドの上。
握っているスマホには「海外旅行 直前 行きたくない」なんてワードでの検索結果。
思えば海外旅行は高校生の時に修学旅行で行ったマレーシア以来だし、よくよく考えれば今まで一人で飛行機に乗ったことさえなかった。
目的地を決めたときには最悪死んでしまってもいいとまで思っていたくせに、なんと情けない。
思わず通話で弱音を吐いた私に知人が返した言葉は「行って、無理そうだったら帰ってくればいい」だった。
確かにそうだ。誰に強制されているわけでもない、別にいつ帰ってきてもいいのだからとりあえず行ってみよう。
慌ててまとめていた荷物を取り出し、バス停を目指した。
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成田空港へ向かう私の恰好はかなり異様であったと思う。
上はワークマンのイージス(防寒・防水ジャケット)に下は短パン、靴はバイク用ブーツ、リュックサック2つを前後に持ち、肩からはボストンバッグを下げている…改めて思い返しても異常者以外の何者でもない。
馬鹿みたいに重く持ちにくい荷物と周囲の冷たい視線に耐えながら、都営バス、地下鉄、京成スカイアクセス線を乗り継ぎなんとか成田空港へとたどり着いた。
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空港にあった荷物用カートには心と体を救われた。
あれだけの荷物を持ったまま広い空港内を歩き回っていたら、心がすり減るだけではなく、肩にも擦傷ができていただろう。
先述の通り一人で飛行機に乗ったことのなかった私は、スマホと看板を頼りになんとかJALのカウンターにたどり着いた。
(スマートフォンは偉大だ。この旅において何度となく感じさせられた。これと通信環境があれば旅行においてかなり多くの問題を解決できる。)
カウンターで恭しく、チェックインを済ませ手荷物を預ける。
預けてはいけないもののリストをぼんやり眺めていると、カセットコンロ用ガスやライター用燃料とある…。
「そういやキャンプ道具入れてたな…」
慌てて荷物の中身をほじくり出す。
ありました、アウトドア用ガスカートリッジ。これにはあかりも苦笑い。
再びあたりをきょろきょろ、看板を探しながら手荷物検査へ。
予備として&何かあったときいっそ盗ませられるようなダミーとして、スマートフォンを壊れているもの含め複数台持ち込んでいたので、取り出すのが面倒だった。
続いて出国審査、自動化ゲートのせいでパスポートにスタンプを押してもらえなかったのがちょっと残念だった。
あとは搭乗時間を待つだけ。ドキドキ。
結構時間に余裕があったので、水を買ったり、ザ・ノンフィクションのテーマ「サンサーラ」をダウンロードしたり、祖父と電話をしたりしていた。
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乗り込んだ席は窓側。
窓が見えるのはいいけれど通路が遠い。10時間を超えるフライトなのにトイレに行きづらいのはちょっと憂鬱だった。
隣の人がリップクリームを唇に塗りたくっていた、機内の乾燥対策だろうか。
することもないので映画を見ようと思ったが、イヤホンのさし口がわからない。
ガサゴソしていると隣の人が教えてくれた、恥ずかしい。
映画『ボヘミアン・ラプソディ』やテレビ番組『マツコの知らない世界』などを見ていた。とくに後者は不安な気持ちを紛らわせるのによかった。
機内食はあまり覚えていないが、スープストックトーキョーとのコラボレーションメニューが出たのが印象的だった。
実際の店舗にはいったことないのだけれど。
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時間は思いのほか早く過ぎていき、窓から地表の建物が見えるようになった。
私が普段見ている建物と明らかに違う雰囲気の建物であるそれらをみて正直
「あぁもうここでいいや、ここで観光させてくれ」
と思った。
しかしながら、何の下調べも宿の予約すらしていないこの地で何ができるとも思えなかったので、おとなしくペルーの首都リマ行きの飛行機への乗り継ぎ手続きに移ることとなった。
まだまだ続きます。
赤座あかり最後のなちゅやちゅみ!(2019年2月〜3月旅行記) ①プロローグ
お疲れ様です。赤座あかりです。
今回は、私が大学卒業直前の2019年の2月3月に、パタゴニアを巡った際のことを旅行記的に書いてみたいと思います。
2年以上前の出来事を当時のメモと記憶を頼りに書き起こすため、おかしな点も多いかと思いますがご容赦ください。
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海外でロングツーリングがしたい。
これだけ長い休みを取れるのは人生で最後かもしれないという気持ちと、
就職する前ならば、就職した後に比べれば帰ってこられないようなことがあってもそこまで迷惑が掛からないのではないかという理由からそのように思った。
(後者に関してはなぜそう思っていたのか今となってはよくわからない。)
行先を決定づけたのは、南米ツーリングに関するブログ記事だった。
チェ・ゲバラとその友人のツーリングを描いた映画「モーターサイクル・ダイアリーズ」から憧れはしていたものの、南米でのツーリングなんてできるわけがないと思っていた。
しかし、そのブログには現地でのバイクの購入の仕方や、国境を通過する際に必要な書類のこと、起きたトラブルやなど細かに書かれていた。
自分にもできるかもしれない。
そう思い込み始めてしまっていた。
体力のあるうちにこんなことができる機会なんて今だけだろう。
第一、これから先働くだけの人生だ、最悪死んでしまってもそこまで後悔しないだろう…。
私は南米でのツーリングを目指すことにした。