赤座あかり最後のなちゅやちゅみ!(2019年2月〜3月旅行記)②出発からロサンゼルス到着まで
お疲れ様です。赤座あかりです。
こちらの記事は前回の続きです。まだ読んでいない方は是非前回の記事から読んでもらえればと思います。
移動にこんなに文量を割いてしまって申し訳ないです。
また、書いてる途中で文章の密度がだいぶ変わってますが、記憶だよりなので許してにゃん…。
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準備に奔走する中で忘れていた計画の無謀さからくる恐怖が、いざ出発するという現実から急に襲い掛かってきていた。
出発するはずの時刻を過ぎているのに、私はまだベッドの上。
握っているスマホには「海外旅行 直前 行きたくない」なんてワードでの検索結果。
思えば海外旅行は高校生の時に修学旅行で行ったマレーシア以来だし、よくよく考えれば今まで一人で飛行機に乗ったことさえなかった。
目的地を決めたときには最悪死んでしまってもいいとまで思っていたくせに、なんと情けない。
思わず通話で弱音を吐いた私に知人が返した言葉は「行って、無理そうだったら帰ってくればいい」だった。
確かにそうだ。誰に強制されているわけでもない、別にいつ帰ってきてもいいのだからとりあえず行ってみよう。
慌ててまとめていた荷物を取り出し、バス停を目指した。
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成田空港へ向かう私の恰好はかなり異様であったと思う。
上はワークマンのイージス(防寒・防水ジャケット)に下は短パン、靴はバイク用ブーツ、リュックサック2つを前後に持ち、肩からはボストンバッグを下げている…改めて思い返しても異常者以外の何者でもない。
馬鹿みたいに重く持ちにくい荷物と周囲の冷たい視線に耐えながら、都営バス、地下鉄、京成スカイアクセス線を乗り継ぎなんとか成田空港へとたどり着いた。
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空港にあった荷物用カートには心と体を救われた。
あれだけの荷物を持ったまま広い空港内を歩き回っていたら、心がすり減るだけではなく、肩にも擦傷ができていただろう。
先述の通り一人で飛行機に乗ったことのなかった私は、スマホと看板を頼りになんとかJALのカウンターにたどり着いた。
(スマートフォンは偉大だ。この旅において何度となく感じさせられた。これと通信環境があれば旅行においてかなり多くの問題を解決できる。)
カウンターで恭しく、チェックインを済ませ手荷物を預ける。
預けてはいけないもののリストをぼんやり眺めていると、カセットコンロ用ガスやライター用燃料とある…。
「そういやキャンプ道具入れてたな…」
慌てて荷物の中身をほじくり出す。
ありました、アウトドア用ガスカートリッジ。これにはあかりも苦笑い。
再びあたりをきょろきょろ、看板を探しながら手荷物検査へ。
予備として&何かあったときいっそ盗ませられるようなダミーとして、スマートフォンを壊れているもの含め複数台持ち込んでいたので、取り出すのが面倒だった。
続いて出国審査、自動化ゲートのせいでパスポートにスタンプを押してもらえなかったのがちょっと残念だった。
あとは搭乗時間を待つだけ。ドキドキ。
結構時間に余裕があったので、水を買ったり、ザ・ノンフィクションのテーマ「サンサーラ」をダウンロードしたり、祖父と電話をしたりしていた。
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乗り込んだ席は窓側。
窓が見えるのはいいけれど通路が遠い。10時間を超えるフライトなのにトイレに行きづらいのはちょっと憂鬱だった。
隣の人がリップクリームを唇に塗りたくっていた、機内の乾燥対策だろうか。
することもないので映画を見ようと思ったが、イヤホンのさし口がわからない。
ガサゴソしていると隣の人が教えてくれた、恥ずかしい。
映画『ボヘミアン・ラプソディ』やテレビ番組『マツコの知らない世界』などを見ていた。とくに後者は不安な気持ちを紛らわせるのによかった。
機内食はあまり覚えていないが、スープストックトーキョーとのコラボレーションメニューが出たのが印象的だった。
実際の店舗にはいったことないのだけれど。
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時間は思いのほか早く過ぎていき、窓から地表の建物が見えるようになった。
私が普段見ている建物と明らかに違う雰囲気の建物であるそれらをみて正直
「あぁもうここでいいや、ここで観光させてくれ」
と思った。
しかしながら、何の下調べも宿の予約すらしていないこの地で何ができるとも思えなかったので、おとなしくペルーの首都リマ行きの飛行機への乗り継ぎ手続きに移ることとなった。
まだまだ続きます。